絵空言 2013年03月

絵空言




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花鳥風月・・・

花 咲き綻びて
鳥 眠り
風 薫る
月の夜

山は黒々と 横たわり
川のせせらぎ 絶えることなく
草々は夜露に光り
木々は語り続ける

悉く想念を排した果ての物語を
有無を彼方に
仏も神も闇に消え失せ
性(さが)のすべてが淘汰された世界を

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  1. 2013/03/01(金) 21:42:14|
  2. 詩のやうな

教えて下さい・・・

存在というものは
初めっからなくてもよかったのではありませんか
初めっから非在でよかったのではありませんか
何ゆえ 宇宙は始まってしまったのですか
何ゆえ 神々は弥栄えてしまったのですか
光もなく闇もなく
形象もなく言葉もなく
ない という概念もなく
ただ 何もなくて それでよかったではありませんか
それで十分だったではありませんか
喜びもなく悲しみもなく
怒りもなく楽しみもなく
ない という思いもなく
永久(トコシエ)の無でよかったではありませんか
何ゆえ 創造が渦巻かねばならぬのですか
何ゆえ 自己認識が繰り返されねばならぬのですか

それらすべては意味もなく理由もなく
ただ あるがままだと言うのですか
あるがままに栄え 弥栄えるのだと
そう言うのですか
それで納得できるのですか

それともそれは どうでもいいことなのですか
陰と陽は 互換されるのですか
有と無は 相互置換できるのですか
存在と非在は まるでまったく 同じことなのですか
これらすべては
私というすべては
私という何かに認識されたすべては
在っても無くても まるでまったく 同じことなのですか


存在というものは
初めっからなくてもよかったのですね?
初めっから非在でよかったのですね?
宇宙は始まりはしたが それは始まらなかったのと同じ程度に意味があり
神々は弥栄えたが それは弥栄えなかったのと同じ程度に意味がない
渦巻く創造は 渦巻く崩壊と同じで
繰り返される自己認識は 自己忘却と変わるところがない





あぁ 存在とは 




           非在のことだったのですね・・・
  1. 2013/03/10(日) 09:10:04|
  2. 詩のやうな

青い鳥は何処に?

青い鳥なんてね
幾ら探しても何処にも見つかりゃしないのさ

世界中探したって
宇宙の果てまで探したって
見つかりゃしない

おとぎ話のように身近な所に?
いないよ
庭にも家の中にもいない

だからって心の内を探しても無駄だよ
心の内を隅から隅まで探して
無意識を探求して
影の裏の裏まで探し尽くして
集合無意識に足を踏み入れ
元型の中に尋ね回ったって見つかりゃしない

内であれ外であれ
それは探すようなものじゃないんだから
探している限りは見つからない
でも探すのを止めれば見つかるというわけでもない

何故って

青い鳥ってのはね…
探したり
見つけたりするような何かじゃなくて…
見つけなきゃならないような何かじゃなくて…

それはただ そこに在るもの

そう それは探しているお前自身なんだよ



青い鳥が青い鳥を探したって
見つかるわけないじゃないか…


  1. 2013/03/20(水) 10:08:48|
  2. 詩のやうな

輪廻

今年も桜が散りました
何回目でしょうか
私が見たのは
これで何回目だったのでしょうか
あと何回 見るのでしょうか
いつまで 見続けるのでしょうか

古ぼけた地図の目印は
時にぼやけ 時に鮮明に
見るたびにその位置を変え

通り過ぎたはずの道標は
行く手の遥か彼方に 佇んでいる

すれ違う人々の見ている風景は
あまりにも懐かしいのだけれど
それはもう私にはあまりにも遠い世界のおとぎ話で

帰る処のない私にあるのは進むことだけで
手にあるのはデタラメな地図だけで
えぇ いっそのこと地図など捨ててしまえばいいのかもわかりませんが
もしもそれを捨てたなら すべての手掛かりが消えてしまいそうで

破れかけた地図を握りしめたまま立ち尽くすのです

今年も桜が散っていきます
笑いながら家族連れがすれ違って行きます

そして私は目を逸らし 歩き始めるのです

あぁ いったい幾つの季節を超えれば見つかるのですか

いったいどれだけの生を過ぎれば見つかるのですか





   果てのない 




            終りは
  1. 2013/03/30(土) 15:21:16|
  2. 詩のやうな
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