絵空言 私の小さな世界について

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私の小さな世界について

クラクラと暗く
ネチネチと粘着するような世界

そんなことはないけれど
ないと思うけれど
ワケわからないと思う方が殆どのような気が・・・

わかる必要もないし
実際 デタラメかも知れません

少なくとも 社会的に生きていく上では 全く必要のない(むしろ邪魔な)

まー   よーするに

(社会的には 完全無欠に 絶対的に )どうでもいい話です



こんな世界を見ているから
私はどうにも この社会に馴染めないわけでw




チベット仏教に砂曼荼羅というのがありまして・・・

此の世界は それに似ている  と思う事があります

砂曼荼羅 そのものなんじゃないのか

と 思っていた頃もありました

その後 いろいろ検討した結果
実際 そう単純なものでもないらしいのですが

さらに視野を広げるなら やっぱり砂曼荼羅そのものなのかもしれません・・・

例えば  元素は 蠢き合ってひしめき合って相互作用し連鎖し
たま~に臨界点に達して暴走する

例えば   人間のように

けれども それらすべては元素の描く模様です

そして  それは たぶん 

一切の価値観がリセットされる 宇宙の行き止まりでもあるのでしょう

さて
認識されるモノはそれでいいとしても
どうしても残る謎が ありまして
それは
認識するモノは
認識するモノを
認識出来ない

つまり  眼は眼を見ることが出来ないということなのであります

えぇ  宇宙は 砂曼荼羅でいいでしょうとも
では それを認識しているのは
何なのか?

どうしても認識するモノとされるモノの二元対立が残ってしまう

認識されざる認識者
介在する思考  
介入する言語
しかし 答えは見つからないのです


けれども


見るものと見られるものは
一つであると “あなた” は仰るのでしょう?

『観る者は 観られるものである
制御する者は 制御されるものであり
思考するものは その思考そのものだ』

“あなた” はそう仰るのでしょう?


認識するものは
認識されるものである

私は どうしても そこに辿り着けないんだ

その一瞬の飛躍ができないんだ

“あなた” が仰るのは
認識者はなく ただ 認識あるのみ ということなのですか
認識者とは認識そのものなのですか
自我と認識の境界線が いつか崩れるとでもいうのですか

そして  

“あなた” の仰るとおりに
見るものが見られるものであった時
そもそも その一つのモノ は
一体  何なのですか?

違う  そうじゃない

言葉そのものも問われる対象であり
言葉は紡ぎ出された端から
得体の知れぬ何かだから
言葉による説明らしきものは 一切 意味を為さない


此の一つのモノ・・・これは ただ これであって
これは ただ こういうモノなのだ と
受け入れる他 なくて
これは 有ることは有るのだろうが
無いの全く同じ意味で
無いと呼んでも全く差し支えなくて
有無の区別すら消えて
これを知るには
言葉を捨てる他なくて
そして私は
これの中に 堕ちて行く他なくて
深く
深く
深く
堕ちて
言葉は失せて
自我は溶けて

私は 私ではなく 

"これ" で







・・・しかし

此の人生では 

そんなに遠くまでは

行け無いような 

気が   してきている







( ※ “あなた” が誰であるのかといえば

・・・J.Krishnamurti

・・・あ、別に興味なかったですか?すいません)



テーマ:ヒトリゴト - ジャンル:小説・文学

  1. 2010/10/22(金) 19:20:04|
  2. 由無事
  3. | コメント:0
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